阿修羅帖 / 伊東忠太
Bibliographic Details
- Title
- 阿修羅帖
- Author
- 伊東忠太、杉村楚人冠(杉村廣太郎)
- Editor
- 杉村楚人冠 / Sojinkan Sugimura
- Images
- 伊東忠太 / Chuta Ito
- Publisher
- 国粋出版社
- Year
- 大正9-10年 (1920-21)
- Size
- h250 × w210 × d30 mm × 5
- Language
- 日本語 / Japanese
- Binding
- 和綴じ
- Printing
- 全頁機械木版彩色刷
- Materials
- 和紙、綴じ革紐
- Edition
- 初版 / First edition
彩色木版刷図版500図(各巻100図)/枡形本/全巻本体表紙側見返しに蔵書印アリ/各帙入り(内1巻の留め具ツメ1個欠け)/帙にイタミ、スレ/本体一部ホコリシミ
奇想の建築家
伊東忠太が描く
魑魅魍魎の風刺画。
今回ご紹介するのは、日本を代表する建築家、また建築史学者である伊東忠太の風刺画集『阿修羅帖』です。
東京随一の奇想建築、築地本願寺の建築家として有名なあの伊東忠太が、愛嬌溢れるキャラクターで第一次世界大戦を巡る当時の状況を風刺した極私的な「漫画」とも、
忠太の個人的な「絵日記」ともいえる本です。第一巻の前書きで、そもそも出版するつもりがなかった旨、
忠太自身が記しています。
『阿修羅帖』の原型となったのは忠太が描いた大量の絵ハガキ。第一次世界大戦の刻々と変化する戦況の報せを元に、ハガキの絵柄面には激動する当時の社会を
魑魅魍魎の姿をかりて描き、宛名面には風刺の対象となる事件や統計データなどを記録していったもの。この全五巻からなる『阿修羅帖』は絵柄面のみを使い、宛名面は掲載がありません。(興味のある方は、日本建築学会建築博物館のウェブサイトをご覧ください。)ちなみに、伊東忠太は1950年(昭和25)まで絵葉書を描きつづけて、その総数なんと3717枚。上述のHPで、その全貌を閲覧することができます。
この膨大な風刺画を絶賛し、出版しようと企画を持ちかけたのは、国粋出版社という木版専門の版元。国粋とは少々物騒な名前ですが、『国粋』という自社発行の版画雑誌を刊行しており、大正9年、『国粋』の創刊号には、泉鏡花・宇野浩二・吉田絃二郎・大泉黒石・三上於兎吉といった面々が名を連ね、表紙は竹久夢二、本文中の作画は、織田一麿、伊東忠太、松田耕輔と錚々たるメンバーが参画し、喜多川歌麿の浮世絵の翻刻なども試みた版元でした。
さて、本書の内容はというと、伊東忠太が大正3年(1914年)から大正8年(1919)のあいだに絵葉書として描き綴った500枚の木版絵をもとに、編集を任された杉村楚人冠(そじんかん 本名:杉村廣太郎)が広汎な記事・文献・資料などにあたって選んだ言葉や文を添えたもの。つまり、「一賛一画」形式で構成された二人の共著というべき内容です。杉村楚人冠は、在日アメリカ公使館の通訳を経て、東京朝日新聞に入社したジャーナリストで、海外のニュースを翻訳したり、特派員として欧米諸国に赴任した人物で、海外事情に通じた豊かな知見を活かし、東京朝日新聞社では調査部創設、縮刷版発行、アサヒグラフ創刊などにも関わり、新聞メディアの近代化にかなり貢献した傑物です。本書では、世界情勢に精通した杉村
楚人冠の編集力が遺憾なく発揮されています。
本の仕様は、五巻共通で巻頭に伊東忠太もしくは
杉村楚人冠の前書きがあり、本編は楚人冠が選んだ言葉(=賛)と忠太の風刺絵(=画)を毎ページごとに上下一対で配置。すべての図版は、
国粋出版社が得意とした多彩色木版刷りで、各巻に100点の画賛を収録しています。巻末には、お題と
ページ数、そして賛文の作者名からなるインデックスがまとめられており、索引の機能も果しています。巻ごとに異なる前書きの内容は、それだけでも読み応えがあるもので、本編の彩色とは対象的に実直な一色刷り木版画。力強い日本語の書き文字は、その内容とともにグッとくるものがあります。
この本には、何がどのように描かれているのか?
第一巻の巻頭1つ目を例に挙げると、お題は「塞墺開戦」。第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件がその画題です。賛には大正時代に政治家として活躍した平田東助の書が対置されています。忠太の絵には、ふんどし姿をした7人の男が描かれています。人物にはそれぞれ丸囲された「仏(France)・露(Russia)・英(UK)・塞(Serbia)・墺(Austria)・伊(Italy)・独(German)」の漢字を付けて、関係諸国を示しています。華奢で赤らんだ肌色の子鬼のようなセルビアが、年老いた小太りのオーストリアと取っ組み合いをしている。セルビアの背後にはイギリス、フランス、ロシア。オーストリアの後ろにはドイツ、少し離れたところには景気の悪そうな顔をしてイタリアが立っています。こんな調子で、全ページが展開されている本書は、当時の複雑な国際情勢を分かり易く図解していて、『マンガで読む世界史』さながら、遠く離れた日本人にとってはあまりピンとこない第一次世界大戦開戦当時の世界情勢を一通り楽しく学習できてしまえそうです。
ところで、伊東忠太は「造家」という言葉を「建築」という言葉に改めた人物であり、日本の建築史を創始した人です。建築史学者として外遊を重ね、法隆寺をギリシャと対比して論じ、建築家として社寺から近代的な建築まで幅広い設計を引き受け、ときにガーゴイルのような怪奇な動物たちを建築意匠化し、さらには風刺漫画言家としての才能をも発揮した。実に多彩な顔を持つ人物でした。生涯をかけて建築学を一つの科学として築きあげた伊東忠太が設計した建築物は平安神宮、明治神宮、大倉集古館、築地本願寺など100を超えます。現在でも見に行ける伊東忠太の建築は「INAX REPORT No.168 生き続ける建築2 伊東忠太」に詳しく紹介されています。
この本を提供してくれたブックハンターの佐藤真砂さんにとっては、「はじめて仕入れた木版画の本」として忘れられない出会いなのだそうです。(今回のものは再入荷品)まだ、人文系や学術系のアカデミックな古本も仕入れていた駆け出しの時期に、古本市場で1巻だけのはぐれ本に遭遇。著者名から「あ、築地本願寺の人だ」と外装の豪華さ、内容の面白さに惹かれて、深い調査や売れる目算もないまま、ひとめ惚れで落札。落札後に、先輩筋から「ニチゲツさん、それホントは5冊あるの。知ってる?」と教えられて「しまった!」と反省すると同時に、こんな木版画本を5冊もつくってしまう伊東忠太に驚愕したのだとか。達者な絵であり、巧みな風刺画だということだけは、充分伝わってきたということです。
しばらく在庫になることを覚悟したこの1冊に、しかし、想像以上に短期間で買い手が見つかり、名前が通った人の刊行物に対する信頼や、木版画のもつ魅力や価値に気づくきっかけとなった1冊だったといいます。実物を手に取ってみれば、ついつい手を出してしまった佐藤さんの衝動買いにも納得するはず。
戦闘をこととする鬼「阿修羅」の名を付けたこの本は、本来であれば第一次大戦の終結により完全に「歴史の産物」となるはずでした。本書が刊行されてから約100年を経たいま、もし伊東忠太が生きていたら、彼は一体どんな風刺画を書くのでしょうか。
第一巻の巻頭の楚人冠の前書きに面白い表現を見つけました。本書の編集を依頼された楚人冠、すぐには首を縦に振らず、版元に三度に渡って交渉され、仕方なく承諾したという内容で、この「三」という数字がどうも世の中にとって肝なようだと、いくつもその例を挙げ、「一體三とは面倒臭き数なり」と結んでいます。
ロシアによるウクライナ侵攻によって、第三次(大惨事!)世界大戦勃発の可能性を口にする知識人が現れた始めた今日、楚人冠の言葉を借りて、戦闘機のエンジン音よりも大きな声で叫びたい。
「一體三とは面倒臭き数なり、地球を滅ぼす前に自らの愚行に気づけよ!」と。