不白 黙雷庵

Bibliographic Details

Title
数寄屋おこし絵図 / sukiya okoshi ezu
Editor
鈴木行三 / Kozo Suzuki
Publisher
三昧社 / Zanmaisha
Year
昭和6年 / 1931
Size
h265 × w188 mm
Weight
25 g

 数寄屋おこし絵図
sukiya-okoshi-ezu

茶室の誕生からおよそ400年間に実在した利休や織部や光琳の名茶室から、雪隠、水遣、中潜など茶室の周辺まで、創意あふれる「起し絵図」をご紹介します。折りたたまれた紙を起こし、紙の爪を差し込むことで糊をつかわずに自立するように工夫されています。数寄とは「好き」ということ。寸法や材料が細かく描き込まれ、建築の知識や技術がない数寄者が常識に囚われない「好み」を表現するのを大いにたすけました。この小さな茶室模型は、茶匠から工匠(数寄屋大工)に手渡され、工匠がそれを読み解いて施工しました。いまから90年前に、茶道家に伝来する「起こし絵図」を集めて限定出版した三昧社版『数寄屋おこし絵図』(1931年刊行)から、いずれも1点限りのご案内です。


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<黙雷庵について>

名称 :黙雷庵(もくらいあん)
創建年:1750年(寛延3年)

川上不白(ふはく)(1719~1807)
江戸に千家流の茶をひろめた、江戸千家の流祖。不白は、享保4年(1719)、紀州生まれ。16歳で表千家七世如心斎天然宗左(じょしんさいてんねんそうさ)の内弟子となる。如心斎の意を忖度(そんたく)できるほどの境地に達した不白は、茶の湯修練の式法である「七事式(しちじしき)」を如心斎が制定した際もその中枢にあって参画。修業を終えた32歳の寛延3年(1750)、如心斎の「江戸に千家の茶を広めたい」という意を汲んで江戸に下り、駿河台に茶室 黙雷庵、後年神田明神境内に蓮華庵、花月楼を建てて門戸を開き、皇族・大名・旗本をはじめ、豪商、市井一般など多くの社中を集めた。不白は、上方発祥の茶の湯に江戸の感性を取り入れ、新しい茶風を興しました。その道統は、江戸千家として今日に受け継がれています。

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