写真家 マン・レイ
Bibliographic Details
- Title
- Photographer Man Ray / 写真家 マン・レイ
- Artist
- Man Ray / マン・レイ
- Translator
- Koichi Ijima / 飯島耕一
- Publisher
- Misuzu Shobo / みすず書房
- Year
- 1983
- Size
- h320 × w220mm
- Weight
- 1830g
- Pages
- 256 pages
- Language
- Japanese / 日本語
- Binding
- Hardcover, with case, and includes a separate booklet / 上製本、ケース付き、別冊付録付き
- Condition
- good
- ISBN
- 462202134X
日本のヘア検閲に抗う
ちいさな抵抗。
乱丁は、巻末の著者略歴ページの下に見つかった。小さく、鋭い福耳です。まるで、発行時に受けた「ヘア検閲」への抵抗の跡のように。
本書は、1981年から1982年にかけてパリのポンピドゥーセンターで行われた大規模な回顧展「Man Ray Photographs」展がきっかけとなって刊行されたもの。日本側にみすず書房が立ち、国際共同出版という形で出版された。1983年1月のことである。しかし、みすず書房にとって、これは無念の出版になった。
出版の前年、未製本のままの印刷物が無事フランスから届いたが、あろうことか東京税関がこれを「風俗を害すべき物品と認められる」として差し止めた。問題になったのは、女性のアンダーヘアが写っている4点の写真だった。みすず書房はなんども通って抗議したが結局受け入れられず、東京税関は返却・廃棄・スミの塗抹の選択をみすず書房に迫った。結局、該当写真のヘアを黒で四角に塗り消することで刊行したのだった。
この本には、ことの顛末を伝える「検閲問題資料」と題された付録がついている。この付録には、本書に限らず、1980年代になってまで、まだやっている日本の検閲のならわしが綴られていて興味深い。そして、写真家の本で写真を塗りつぶすというありえない非常事態をのりこえて出版そのものを実現した上で、この問題を公開して、当時の日本の検閲に対して文化的意義を守ろうとしたみすず書房の姿勢に、同じ編集人として感服せざるをえない。
それと本書の魅力は、みすず書房ならではの充実したテキストにもある。序文は、1971年から1982年までフランス国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)の館長をつとめ、この「マン・レイ展」も企画したジャン=ユベール・マルタンが執筆。さらにいくつかの評論やマン・レイとの対談も収録されている。ダダイスムやシュルレアリスムといった20世紀アヴァンギャルド芸術運動の中心で活動したマン・レイが、どのようにして「現代の源泉」に根ざした写真表現を切り拓いてきたのか垣間みることができる。
«目次»
一人のアメリカ人がパリに来て影のために絵画をやめる / ジャン=ユペール・マルタン
マン・レイとアヴァンギャルド / フィリップ・セール
慰めとしての写真 / ハーバート・モルダリングス
アンソロジー 解説 1 / ブリジット・エルマン ジャン=ユベール・マルタン
マン・レイの時代に / ヤニュス
写真は芸術ではない / マン・レイ
写真は芸術たり得る / マン・レイ
マン・レイとの対話
アンソロジー 解説 2 / ブリジット・エルマン ジャン=ユベール・マルタン
ダダ・シュルレアリスムの登場
エロチスムと内奥
事物のナゾ
正面玄関のうしろに
一人の流行写真家
索引
年譜
マン・レイ(1890-1976)
1890年アメリカ、フィラデルフィア生まれ。高校卒業後、フェレール・センターに通う一方で、スティーグリッツの「ギャラリー 291」に出入りし、アヴァンギャルド芸術家と交際するようになる。1915年には盟友となるマルセル・デュシャンと出会い、親交を深めた。1921年に渡仏。ブルトンやトリスタン・ツァラやエリュアールなど、ダダイスムやシュルレアリスム運動の中心メンバーと親しみながら、自身では写真を本格的に撮り始める。1940年にアメリカに一時帰国し、1961年に再びパリに戻る。1976年没。「ポートレート」写真集の他に、自伝『セルフ・ポートレート』(美術公論社/1982)がある。