燐票帖
Bibliographic Details
- Title
- Match label collector's book / 燐票帖
- Author
- Anonymous / 作者不明
- Year
- 1868~1945 approx. ( before the end of WWII ) / 明治〜昭和20年代
- Size
- sheet : 240 × 370mm / each label : 35 × 55mm
- Weight
- 380g
- Pages
- 50
- Language
- Japanese / 日本語
- Materials
- Paper
- Condition
- Good / 良好
Total of 50 sheets of 800 match labels / 50シート、マッチラベル全800枚
戦前の燐票蒐集家が
あつめにあつめた
マッチラベル800枚。
製品化された紙巻タバコの紙の部分を接着をはがさずにロール状のまま、葉の部分をきれいに抜き出した状態にして、高級感あふれる立派なクリアファイルに整理したコレクションを市場で発見した時のことです。 「あらゆる紙モノにコレクターが居る ! 」。そう確信しました。紙巻タバコの巻紙をこのようにしてあつめた例は非常に珍しく、コレクターとしての独自の視点と情熱には敬服したものの、いかんせん同好の士が居る可能性は限りなく低い。加えて、デザイン的な多様性に乏しく、微細な差はあるものの大きな違いをみつけにくいので、総体としての面白さやインパクトにいささか欠けている … コレクションアイテムとして販売するのは難しいだろうと踏んで、その珍しさに後ろ髪をひかれつつ、入札は差し控えました。
紙アイテムのなかで、多くの人を魅了し、蒐集を促す要素は一体何かと考えると、いくつか条件があるように思います。
例えば見た目。デザイン的に優れたものが多く多様であること。豊かな個性に恵まれていること。例えば数量と蒐集ルート。あつめがいのある数量が、蒐集しやすい場に常に流通していること。例えば時代性。それぞれの時代の流行や風俗が色濃く反映されていること。例えばサイズ。たくさん蒐めたとしてもできれば嵩張らず軽いもの。サイズが揃っていて保存・管理しやすいことetc.…… マッチラベルはこれらの条件をみたすとともに、蒐集対象としてずば抜けて長い歴史をもつエフェメラ界きっての王道アイテムだと云えるでしょう。その歴史は世界共通のようで、なんと、英語には、"Phillumenist (A person who collects match-related items, like matchbox labels, matchboxes, matchbooks, or matchbook covers.) "という燐票蒐集家のみを指す単語が存在するほど。
日本におけるマッチラベル蒐集の開祖は、政治家でいまの熊谷市の郷土史家・根岸武香とも、民俗学者の山中共古ともされますが、いずれにして日清戦争(1894~1895年)当時のこと。いまから約130年前に遡ります。初期のコレクターのなかに福山碧翠という特筆すべき人が居り、根岸・山中に一拍遅れて1900年に蒐集を開始、1902年には広告マッチ製造販売にも進出。何よりこの人がすごかったのは、マッチラベルの蒐集趣味の普及拡大に猛進していったところにあったようで、1903年には「燐枝錦集会(りんしきんしゅうかい)」を創設。1907年には「燐枝錦集会」を「日本燐枝錦集会」に改称するとともに、東京勧業博覧会で「日本燐枝錦集会・燐票展覧会」を開催。ちなみに「燐」はマッチのこと、「燐票」はマッチラベルのことを表わします。1908年からは各地に「燐枝集好会」を創立していいきました。福山本人のマッチラベルコレクションは1912年に6万3000種、1927年には20万種にのぼったとか。マッチラベル蒐集趣味の大立者・福山碧翠の足跡については、一般社団法人日本燐寸工業会と協同組合日本マッチラテラルが共催するサイト「マッチの世界」の年表に逐次記され、表敬の念が伝わってきます。大正時代には『趣味の燐票 錦』という同人誌も発刊され、全国規模での蒐集品の紹介や同好の士の間での交換の仕組みもできていたようです。
そのマッチラベルですが、大きくは二つに分けることができます。ひとつは商標ラベル。製造社のブランド商標をデザインしたラベルで、輸出先の国に合わせた図案とブランド名が印刷されています。19世紀末から大正時代にかけての日本におけるマッチ工業初期のラベルの多くは、商標ラベルでした。もうひとつの大きなカテゴリーが「広告ラベル」と呼ばれるもの。「広告ラベル」とは、企業や各種商店などが自社の広告をマッチラベルに印刷したもので、大正時代から昭和に隆盛をみることなります。オフセット印刷の普及とも関係して、木版や電気銅版技術を主とした商標ラベルとは比べものにならない多彩な色使いと多様な図案とが特徴で、今回ここでご紹介するのは「広告ラベル」全800枚を台紙に糊貼りしたコレクションです。
ラベルはほぼ全て未使用・美品。旧蔵者は全国規模で交換・蒐集に情熱を注いだ人物とみられます。台紙のフォーマットから、全シート同一人物が所有していたものと思われます。大阪・京都・兵庫など関西の都市圏を中心に、東京、新潟、高知、佐賀、さらに奉天、済南など旧植民地のラベルも数枚。カフェやレストランを筆頭に、フルーツパーラー、バー、ビリヤードや理髪、洋品店、タクシー、ラジオ、映画など、流行を反映しやすい業種のマッチラベルが多く、当時としてはハイセンスなイメージのものから選ばれている印象です。デザインの多くがアール・デコ、構成主義、モダン・タイポグラフィなど、当時尖端と見られていたデザインを基調としながらも、詰めの甘さのせいか、どこかキッチュでお手軽な仕上がりが不思議な味わいをかもしだしています。
もうひとつ、面白いのが小さなマッチラベルに知恵を凝らして盛り込まれたコピーの存在。「学生化された満洲料理・同志社西門前サロン “孔雀”」「信濃橋交差点 他人デ断然味ヘヌ 親類気分カフエー “親類”」「恋の殿堂 “お兄ちゃん”」「行きませう なつかしい思い出 “あかちゃん”」「千里山終点 高級喫茶 ”山のおばさん”」など 。“〇〇“の部分が店名なのですが、こうしてみるとコピーも店名も謎。「夜の港に灯が輝けば 胸に情の火が燃える アゝ懐かしの “マルセーユ”」など、説明しすぎだろうと思えてきてしまいます。マッチラベルのもつ奥深い世界、少しはお伝えできたでしょうか。
つい最近、といっても半世紀以上前のことになりそうですが、生活の中でマッチは欠かすことのできない常備品でした。台所での煮炊きにも、お風呂を沸かすにもマッチが必要でした。もう少し前なら夜の灯りをともすにも、マッチが欠かせませんでした。タバコで一服するにもマッチが必要なら、仏壇に手をあわせるにもマッチがついてまわります。それがいまではわずかに仏壇と非常時用品に残されているくらいのものでしょうか。人々の日常とともにあったマッチももはや絶滅危惧種。多彩なマッチラベルの蒐集は、かつての蒐集家が残した過去の遺産が、いまその多くを負うことになっています。
Text by 佐藤真砂
«参考になるページ»
・マッチの歴史: https://match.or.jp/museum/history/4234/
・Kawamura Office: http://riveroffice.web.fc2.com/pages/yoshimi5.html