モノグラム手控帖
Bibliographic Details
- Title
- Crests, Monograms Etc. / モノグラム手控帖
- Author
- Anonymous / 作者不明
- Year
- Around the end of the 19th or beginning of the 20th century? / 19世紀末~20世紀初頭?
- Size
- h200 × w170 × 35mm
- Weight
- 830g
- Pages
- 100
- Language
- English / 英語
- Binding
- Leather binding, gold on three sides, title in gold, gold lettering, gold wire decoration / 上製革装・三方金 タイトル金文字、金線装飾
- Condition
- Spine is damaged, chips and scratches on thin glassine papers inserted between each page / 背傷有、間紙欠け傷有
Unique private book with 1,000 monograms and crests based on personal names pasted on it, along with a piece of paper with the address. / 個人名に基づくモノグラムや紋章を住所の紙片とともに貼り込んだ私家本
古代ギリシャにはじまる
モノグラムの歴史に登場した
世界に一冊だけの本。
クリスマスを前に、今年仕入れたもののうち、この季節にいちばん似合いそうな商品は何だろうと考えて選んだ「今週の1冊」は、『Crests, Monogram Etc.』と表紙に刻印されたプライベートブックです。姿かたちは書籍ですが、中身はおよそ1~2センチ角の愛らしいモノグラムを中心に、紙の切れ端を約1,000点も貼り付けている手控え帖です。
モノグラムというと、かのハイブランド「ルイ・ヴィトン」の商標のことだとお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、広辞苑によれば「2個以上の文字を1字状に図案化したもの。組字。合一文字。」という意味をもつ一般名詞。コトバンクでは「署名の代わりとして美術品などに記されたり、印鑑に用いられたりする。」と用途についても言及されています。実際のところ、磁器にみられるバックスタンプが、今回の商品に収容されているモノグラムのデザインの傾向に最も近いのではないかと思います。
そうした印象もあって、1冊で出品されていたのを市場でみつけてページをひらいた際に最初に頭に浮かんだのは、商標を集めたものではないかというという推測でした。聞いたことがあるようなロンドンの通りの名前を切り取った貼り込みも多く、貼り込みが密なページとまだらなページがあるなど、貼り方にも意味があるようにみえて、通り別・エリア別にそこで営業している商店のシンボルマークを集めて整理した、例えていえば今和次郎の考現学的な蒐集帖ではないのだろうか!イギリスの考現学?面白いぞ!なんて、ひらめいたつもりになっておりました。
市場で買うもので、とりわけ海外の正体不明なものには大抵の場合、というか、粗忽者の私の場合というべきなのだと思いますが、困ったことに往々にして誤解がついてくることになります。『Crests, Monogram Etc.』もまたご多分にもれることなくその手合いでした。サウス・ケンジントンもハムステッドもあちこちのページに飛んで出てくるし、走り書き程度だろうと等閑視していた手書きのメモの方がちゃんとアルファベット順になっているようだし …… おやおや、アルファベット順?メモに書かれているクセ字はよく見るとMrs?こっちはLady? と少し落ち着いて改めると、何のことはない、個人の人名とモノグラムを紐づけるための心覚え、簡単にいえば人名簿だったというわけです。
希望をいえば、ロンドンの考現学であってほしかった。だって、絶対面白いじゃないですか。人名簿ねえ。ありがちなんじゃないのかな。いや、しかし。でもどうなんだろう?
貼り込まれている約1,000点の内、モノグラムやCrests=紋章にあたるデザイン化された貼り込みは約550点。残りはさまざまな書体が使われ、華麗な飾り文字などもまじる住所表記の切れ端です。貼り込まれている紙の質感、情報内容から推測するに、名刺や個人専用にオリジナルでつくらせた便箋(レターヘッド)や封筒から切り取ったものとみられます。モノグラム、紋章はもちろん、集められている住所表記まで、ほとんど全てエンボス加工。つまりは金型からオリジナルで作らせていたはずです。しかも多色使いも多く、紙の切れ端とはいえ贅沢なものばかりです。また、旧蔵者の発注によるとみられる装丁は、高さこそ控えめながら中央に金線を配した背バンド、表紙・裏表紙の太い金線、木口の厚み部分から見返しのチリに到る部分に配された金の装飾など、全体としては控えめな印象ながら、細かい部分まで行き届いた格調高い仕上がりとなっています。当然ですが、旧蔵者も上流階級の人か、そうした家族に仕えた人とみて間違いなさそうです。人名簿はあまたあれども、このように贅を凝らした紙モノと外装からなる人名簿はそうそうないのでは? …… この点については欧米のアンティーク市場と上流階級事情に疎い私は断言を避けねばなりませんが、しかし、日本ではなかなかお目にかかれないことは確かです。そして、モノグラムや紋章のデザインには、単に文字だけでなく、動植物や不思議なキャラクターがモチーフに使われているものも多数認められ、縷々述べてきたような堅苦しいことを抜きにして、単純に見ていて楽しめ、何かに使えそう。ゴリゴリのゴシックテイストからとぼけたキャラクター系まで、デザインソースとしての活用も考えられそうです。
もちろん、個人のモノグラムや紋章をもっていて、贅を凝らしたオリジナルの印刷物を使う習慣のある人たちともなれば、もれなく上流階級か新興のお金持ちの方たちのはず。人名簿ならひょっとしてチャーチルさんとかドイルさんとか出てこないものかと思いつく名前をいくつかあたってみたものの空振りに終わりました。がしかし。Mr.とMrs.に加えてMissまで含めやたらと名前が載せられているBresseyという姓を検索してみたところ、ロンドンの道路計画研究で知られるブレッシー卿という人にいきつきました。クセの強い手書きの英文筆記体と根気よく角突き合わせる気力さえあれば、もしかしたらとんでもない人の名前が発見できるかも知れません。可能性はまだまだ充分残されているのです。
対手とじっくり向き合って、どんなふうに捉えるか、或いは何がみつかるかによって価値が大きく違ってくる商品があります。どの程度まで化けるのかは分からないまま、しかし、何かに化ける可能性に賭けて商品を仕入れる時、古本屋はよく「夢を買う」という言葉を使います。なるほど、可能性こそが夢!今回の商品についていえば、「ロンドンの考現学かも」とか「チャーチル、いるかも」なんていうのが古本屋の夢の部分であるわけですが、これまでのところ実際に私が値踏みできた価値は、デザイン的な要素だけ。夢には到底届きませんでした。
夢の続きは次の方の手に。クリスマスのプレゼントになることを祈りつつ、お渡しできればと思います。
さて、2022年の私の回はこれで打ち止めとなります。毎回お付き合い下さった読者のみなさまと、このような場を与えて下さったFRAGILE BOOKSに心より御礼申し上げます。私ごとになりますが、2023年からは表参道の店を離れ、都心から少し離れた場所に小さな仕事場を構えることにいたしました。仕事の内容はこれまでと変わらず、しかし少しだけ身軽になります。身軽になった分、できるだけフットワーク軽く、色々なところに首をつっこみ、面白いものをみつけて来られればと思います。2022年は本当に有難うございました。2023年もどうかよろしくお願いいたします。
Text by 佐藤真砂
footnote
佐藤真砂さんの逸品、いかがだったでしょうか。FRAGILE BOOKSにとっても、今年出帆したフラジャイルな航海は、真砂さんとともに情報の海の底に眠っている宝ものを探査しにいくような体験でした。しかし、真砂さんのような古本博徒になるのは、生半可なことではありません。金塊を掘り当てるためには運以外に「そこに何かありそう」という独特の嗅覚とそれを裏付ける知識が欠かせない。全く、正真正銘のブックハンターです、真砂さんは。それも、だれも知らない本専門の。
さて、この「モノグラム」の孤本について、真砂さんのお話の補足を少しだけ。
歴史上最初のモノグラムは古代ギリシャまでさかのぼります。紀元前350年頃に、イエス・キリストの「Chi Rho」というギリシャ文字(「X」と「P」に見える)を組み合わせたシンボルが登場します。
その後、6世紀の古代ローマで地域の支配者がコインに使うようになり、8世紀にはカール大帝が征服していった土地に対する権力を表すために、モノグラムを広く使用するようになりました。カール大帝は、西ヨーロッパのほぼ全域を統一した覇王で、トランプのハートのキングのモデルですね。唯一、口髭のないキングの絵札です。
それ以降、モノグラムは王族や軍人がじぶんの権力を表徴するときの定番スタイルになるのですが、ヴィクトリア朝時代(1837年〜1901年)には、これが一般大衆化します。パラソルから乳母車まで、ショールから軍服まで、あらゆるところに、モノグラムが登場するようになります。
20世紀前半になると、さらにファッションの一部になります。文房具にもベッドリネンにもゲストタオルにも刻印されるようになって、モノグラムは大流行します。その理由には、2つ以上の文字を重ねたり組み合わせたりして、1つのシンボルをカスタマイズすることがファミリーのシンボルを表象したからです。結婚や婚約をするカップルが、結婚式の招待状や新居で使う刺繍アイテムに二人のイニシャルを絡めた2文字ないし3文字のモノグラムを使用することが流行したのです。それは、引き出物や子供服、ベビー用品にまで及びます。実際、モノグラムの伝統的な意匠は、ファーストネームやミドルネームよりもファミリーネームの方が大きく見えるようにデザインされています。
真砂さんが発掘したこの本が帳簿のようなのはそのためで、おそらく19世紀末から20世紀前半にかけて、ロンドンの街角でさまざまなファミリーや地元の商店などに仕えた印章屋か刺繍屋かギフト工房のようなところで、世代を超えて大事に継承されていた一冊だったのではなかったか。いまでもクラシックなファッションとして生きているモノグラム文化は、日本の家紋と比較してみても面白いのかもしれません。おもえば、ルイ・ヴィトンのモノグラム柄の中に日本の島津家の家紋をヒントにした「丸の中に星」マークが意匠化されていることですら、家紋の存在が希薄になりつつある日本人にとっては、ファミリーシンボルを見つめ直すいい機会なのかもしれませんね。モノグラム篆刻でもつくろうかな。
FRAGILE BOOKS 櫛田 理