White Verbs / 白い動詞

Bibliographic Details

Title
White Verbs (Weiße Verben) / 白い動詞
Artist
Veronika Schäpers / ヴェロニカ・シェパス
Year
2017
Size
h160 × w405 × d80mm
Weight
850g
Language
German / ドイツ語
Materials
Watermark moulded in manila hemp, Inkjet printed on kozo-paper, negative screen print on EnDuro Ice-translucent paper, Letterpress on abaca-paper. /
Edition
40 copies with Arabic numbering and 6 copies with Roman numbering. / アラビア数字40部、ローマ数字6部
Condition
New

Watermark moulded in manila hemp, Inkjet printed on kozo-paper, negative screen print on EnDuro Ice-translucent paper, Letterpress on abaca-paper. 2-piece acrylic box with title. マニラ麻紙に透かしの型押し、楮紙にインクジェットプリント、エンデュロ・アイス半透明紙にネガスクリーンプリント、活版印刷に使用したのはアバカ紙。 アクリルボックス入。

マレーヴィチの白い正方形
グリューンバインの白い動詞
ヴェロニカの透明な感性

ニーチェやワーグナーにも影響を与えたというドイツの哲学者、ショーペンハウアーは「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ」と書き残している。この言葉が仮に正しいとすれば、ヴェロニカの本は「読む」のではなく、五感を研ぎ澄まし、自分の頭で考え、味わうものだ。紛れもなく本、でもこれは本以上の本である。

ヴェロニカの本づくりは、いつも言葉からはじまる。この本は、ヴェロニカが、デュルス・グリューンバイン(*1)の詩 "Weiße Verben(白い動詞)"からインスピレーションを受けて作成された。この詩は、グリューンバインがニューヨーク近代美術館でカジミール・マレーヴィチの絵画 "Suprematist Composition - White on White"に初めて出会ったときの印象を言語化したものである。

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    White Verbs

    The white verbs are all invisible.
    They circle around activities that are not learned.
    They are disappear, extinguish, perish
    they lead to deserted territory.
    They creep through the room unnoticed

    They are disintegrate, scatter. Their
    Ghostly hand crosses out anything that once existed.
    They wrap our thinking in snowfall, a fog, And start as a line of chalk on the blackboard.
    They give language its sense of finality.
    To snow is one of these verbs, to freeze
    To age is another, to despair, to pass away.
    They can cut through the knot of wisdom.
    They are a traveling blind spot.
    They are at the edges of every psyche.
    The white verbs hardly make a stir.
    They are thorough, they can be relied upon. They exist as love exists.
    They operate in secret
    And silently advance under cover of the main words.
    They aim at horizons that nothing can reach.

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マレーヴィチ作品の中でも最も一貫した作品である "White on White"を目の当たりにしたグリューンバインは、最初、論理的にも芸術的にも、想像通りにすばらしいものだと感じた。しかし、じっくり見ていくうちに、じわじわと腹の底から湧いてくることばを抑えきれなかった。白い背景とのコントラストを強調するために、その正方形は少し傾いており、それはまるでウォッカを一滴飲みすぎたかのように、少し揺れているようにさえ見え、「白」を構成する細かな筆遣いの生々しさにも驚きを隠せなかった。表面のニスは老人の額のようにシワが寄り、哀しげなひび割れも手伝い、まるで儚い存在だった。実物に出会うまで、これは絶対的な啓示であると想像していたのに、見事にその期待を裏切られた。崇拝の対象にもなろうかという近代絵画の象徴とまで称されるこの作品でさえ、ほかの美術品と同じように、時間が経てば経つほど、より人間的なものへと姿を変えていたのである。

さて、ここからがブックメーカー、ヴェロニカの神業である。

まず、グリューンバインの言葉を包み込むように綴じられた本は、透明度が高く、しっかりと角が丸められた極めて薄く仕上げられたアクリルケースの中に収まっている。ケースの真ん中から割るようにして本を取り出すと、驚くのは、その綴じ方だった。左右の端が両方とも綴じてある、どこが小口でどこがノドなのかまったく定かでない。表紙も裏表紙もあやふやで、どちらから開くべきか根拠を探してもまるでヒントがない。本能に従いながら恐る恐る厚いアバカ紙の表紙をめくると、二度驚いた。開きの方向性が1ページずつ左右互い違いなのである。観音開きともまた違い、単純に体験としてとても新鮮で面白い。戻す順序を間違うのではないかという緊張感に襲われはするものの、そこも含めて物理的な本の可能性を感じた。

左右互い違いに開いていくページには、透かし文字でマレーヴィチのマニフェスト「芸術家」と「現代美術」からの抜粋が印刷されている。テキストのレイアウトは、20世紀前半にドイツをはじめアフリカ諸国でも使用された迷彩パターンであるストリヒターン (Strichtarn) に基づいており、雨のようにも記号のようにも見えてくるのは不思議である。書かれているのは、マレーヴィチの思想が当時いかに革命的であったか、そしてそれらがロシアの技術的、政治的大変動や変化にどれほど強い影響を受けていたかを示すもので、グリューンバインが "White on White"に出会うまで抱いた期待を追体験している気分になる。

題材となったグリューンバインの言葉、美術作品の劣化から受ける避けられない老化現象への哀れみは、耳付き和紙に透かし文字で表されている。ページの重なり合っている状態では紙の表面のかすかな痕跡が文字かどうかさえ判読不可能、蛇腹の和紙を広げて光にかざしたときだけ文字が浮かび上がる仕掛けだ。存在と非存在、オモテとウラの境界線を敢えて透かすことで、あらゆる概念や理論の危うさ、脆さをこの上なく静かに語りかけてくる。それはつまり、100年以上前に描かれた "White on White" が、たしかにそのとき、世界中に驚きをもって迎えられたが、その影響力は今日まったく失われてしまった事実を突きつけているのである。

本の中で、マレーヴィチの面影を視覚的に残したのは唯一、グリューンバインの詩の改行位置を無視して、文字をレイアウトを一節ごとに完璧な正方形にしていること。それは画期的で前衛的で、祈りに最も近いかたちにも感じられる。ヴェロニカは、マレーヴィチの目指したシュプレマティズムの頂点に対して、ほんのりと透明な軌道を描いたのだろう。

そして、極めつけに、マレーヴィチの白い正方形、グリューンバインの白い動詞と対比させるように、文字や単語を色と関連付けずに文章を読むことができない、共感覚者(*2)エヴァ=マリア・ボルツが開発した書記学的カラーコードを使い、グリューンバインの詩を翻訳した紙を1枚差し込んである。あざやかな色とりどりの線は「白い動詞」なのである。白の世界に色を差し出す、この思考回路がまったく予想外で想像以上。

あなたは、この本を自分の頭で考えずに読み終えられるだろうか。




*1
ドゥルス・グリューンバイン/Durs Grünbein
1962年、ドイツのドレスデンに生まれ。早くからノヴァーリスやフリードリヒ・ヘルダーリンに傾倒し詩作を試み、17歳のときエズラ・パウンドの叙事詩『キャントーズ』に出会いその後の詩作を方向付けられた。1984年に拠点をベルリンにを移し、ベルリン大学で2年間演劇学を学ぶと同時に、古典から現代までの幅広い文学作品を学ぶ。1985年より本格的に執筆活動を開始。劇作家ハイナー・ミュラーに見出され、1988年に初の詩集『Grauzone morgens』を出版。詩作のほかにエッセイストとしても活動しているほか、翻訳家も手がける。1999年10月の来日の際には、静岡県静岡市清水市境の有度山頂のホテルにて、ウリ・ベッカー(独)と谷川俊太郎、高橋順子、大岡信による日独静岡連詩(静岡連詩第一回)に参加した。

*2
共感覚者/Synesthesia
世界の総人口中、数パーセントの割合で、見たり聞いたり触れたりしたものに対して、多くの人が感じる以外の感覚も感じる人々がいます。 文字に色を感じる、音に色を感じる、形に味を感じるなど、さまざまなタイプの人がおり、このような人々のことを「共感覚者」という。知覚にまつわる脳の現象であり、生まれつきだと本人も気づかないケースが多い。